Bark at Illusions Blog

── Media Watchdog Group

「敵基地攻撃能力」は「反撃能力」と名前を変えても憲法違反、日本の安全も保障しない

 自民党は日本政府に対して「敵基地攻撃能力」の保有や軍事費の大幅な増額などを提言した。「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換え、「相手国のミサイル基地」だけでなく「指揮統制機能等」も攻撃できる能力を保持するよう求めている。また軍事費については、NATO諸国が国内総生産比2%の軍事予算を目標としていることを念頭に、「5年以内に防衛力を抜本的に強化するために必要な予算水準」を満たすよう要求している。

 マスメディアは「敵基地攻撃能力」の保有について、「憲法に基づく専守防衛の原則から逸脱する」(朝日22/4/23)とか、「憲法9条に基づく専守防衛を逸脱しかねない」(毎日22/4/23)などと、生ぬるい批判をしているが、「敵基地攻撃能力」であれ「反撃能力」であれ、相手国の軍事施設などを攻撃できる能力を保持することは、明白な憲法違反だ。日本国憲法第9条は、武力行使と戦力の保持を明白に否定している。

(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 もう一つ、自民党の提言で大きな問題なのは、自民党が提言する軍事力の増強では日本の平和と安全を保障できないということだ。
 これについては、マスメディアでも多くの懸念の声が聞かれる。前出の朝日新聞22/4/23)と毎日新聞22/4/23)の社説も、

「軍拡競争により、かえって地域の不安定化を招く恐れがある」、
「反撃能力を抑止力として振りかざせば、地域での軍拡競争を過熱させかねない」

と、それぞれ疑問を呈している。
 ニュースウオッチ9(22/4/21)は「敵基地攻撃能力」の保有を支持する専門家と、保有に批判的な専門家、それぞれの見方を紹介しているが、保有を支持する専門家(拓殖大学、佐藤丙午教授)でさえ、

「こちらが如何に抑止目的でそのような能力を持つんだという風に発表したとしても、先方は自分たちに対する一方的な攻撃だという風に判断しますので、その矛盾ていうのが、抑止力を持つ際の最大のジレンマになります」

と述べている。さらに「敵基地攻撃能力」の保有に否定的な専門家(流通経済大学植村秀樹教授)は、

「日本の防衛力を強化したからといって、そのことで北朝鮮がミサイル開発をやめるというようなことにはなりません。中国ももちろん同じです。ほとんど抑止力としては機能しない」

と指摘している。
 たとえ「抑止」が目的だとしても、「敵基地攻撃能力」の保有を「自分たちに対する一方的な攻撃」だと判断した仮想敵国は次にどうするか。日本に対する不信感を強め、相応の軍事的対応を取ることになるだろう。佐藤丙午は安全保障上の「矛盾」、「ジレンマ」と述べたが、それは軍事的な「抑止力」によって安全を保障するという考え方が成立しないことを意味する。軍事力強化によって安全を保障しようという試みは、却って地域の緊張を高めるだけだ。

 今、ロシアによるウクライナ侵略を受けて、日本だけでなく欧米でも、軍事力強化で安全を保障しようという動きがみられる。EUは即応部隊の創設や軍事費を大幅に増額する方針を打ち出し、NATOは東欧に常設の多国籍部隊を配置することを決定、フィンランドスウェーデンNATO加盟に向けて動き出した。
 しかし、ロシアがウクライナに侵略した最大の要因は、ロシアを標的にした軍事力の強化、すなわちNATOの東方拡大だ(Bark at Illusions22/3/27など参照)。軍拡でロシアに対抗しようとする欧米の動きは完全に間違っている。

 フィンランドのサンナ・マリン首相はNHKとのインタビュー(ニュースウオッチ9、22/5/11)で、

「地理や国の位置を変えることは出来ません。しかし安全保障・外交・防衛の政策は自ら決めることができます」

と述べた。
 「地理や国の位置を変えることは出来ません」。だからこそ、軍事力に依存する安全保障体制ではなく、相互の安全保証と信頼関係に基づく安全保障体制を選択すべきなのだ。
 仮にロシアや中国あるいは朝鮮と、欧米や日本の価値観や考え方が違ったとしても、たとえそれらの国々のことを好きになれなかったとしても、我々はみな同じこの地球上で共に暮らしていかなければならないのだ。地球温暖化や新型コロナウィルス、それに経済格差や貧困問題など、様々な課題に世界各国が直面している中で、軍事費ばかりに金を使っている場合か。
 軍拡を急ぐ日本や欧米諸国の政府に全世界の将来を任せるのではなく、平和と人類の存続を願う世界中の市民が力を合わせて、信頼関係に基づく安全保障体制の構築へと、現在の流れを変える必要がある。