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── Media Watchdog Group

イランはアラブ諸国にとって脅威なのか

 合衆国政府の仲介で、イスラエルアラブ首長国連邦UAE)が国交正常化で合意した。パレスチナ問題を巡って見かけ上は対立してきた両国が今回の合意に至った理由について、マスメディアはイランの脅威が背景にあると説明する。

「今回の合意の背景に何があるのか。透けて見えるのが、中東の大国、イランの存在です。近年、中東で影響力を増しているイランに対抗するという共通の利益があったと見られます」NHKニュース7、20/8/14)

「今回の背景にあるのは、地域大国イランへの敵対心である。UAEを含む多くの湾岸諸国とイスラエルは、中東でのイランの影響力拡大を脅威とみて、互いに接近してきた。イラン包囲網をめざす米トランプ政権が、その仲介に動いている」朝日20/8/18社説)

「両国を接近させたのは、中東で影響力を増し、『共通の敵』となっていたイランの存在」、「UAEが決断したイスラエルとの国交正常化は、近年、中東全域で影響力を強めてきたイランに対する脅威認識が背景にある」毎日20/8/15)

 しかしイランは本当にアラブ諸国にとって脅威なのだろうか。
 イランの軍事費は、対立するアラブ諸国と比べて問題にならない位に少ない。地域大国サウジアラビア一国だけでも、その軍事費はイランの5倍であり、これにUAEクウェートオマーンバーレーンカタールを加えた湾岸協力会議加盟国の軍事費はイランの8倍を超える。しかもイランを敵視する世界最強の米軍が、これらの国々に展開している。イランにとってアラブ諸国や合衆国が脅威になっているというならその通りだろうが、イランがアラブ諸国にとって脅威になっているというのは理解し難い。
 またイランは長年の制裁によって苦しめられ、物価の高騰や医療品の不足などで国内が疲弊している状態だ。マスメディアはイランの「脅威」を過大評価しすぎているのではないか。
 実際、アラブ諸国の一般大衆は、イランよりもイスラエルを脅威だと考えているようだ。アラブセンター(18/7/10)の世論調査(調査対象国は西アジアだけでなく、エジプトやスーダン、モロッコなどアフリカに位置するアラブ諸国も含まれている)によると、安全保障上の脅威としてイスラエルを挙げた人が90%と最も多く、次いで合衆国を挙げた人が84%、イランは3番目に多い66%だった。
 イランの脅威に対抗するためにUAEイスラエルが国交正常化で合意したという見方は、こうした世論を無視したものであり、抑圧的で非民主的なアラブ諸国の権力者やそれを支援する合衆国政府の立場から見た一方的な解釈だ。

 同様のことはパレスチナに関しても言える。マスメディアの中には、今回の合意によってパレスチナが孤立に向かう可能性があると指摘しているものがあるが(朝日20/8/15、日経20/8/20など)、このような見方も、アラブ諸国の世論や市民レベルでの国際的な動きを無視したものだ。先程のアラブセンター世論調査によると、イスラエルによるパレスチナの占領やパレスチナ人への人権侵害、イスラエルの領土拡張主義などを理由に挙げて、アラブ人の87%が自国政府によるイスラエル国家承認に反対している。また市民社会では、イスラエルパレスチナ占領やパレスチナ人に対する人権侵害などをやめさせるために、イスラエルに対するボイコット(Boycott)・資本引き揚げ(Divestment)・制裁(Sanctions)を呼びかけるBDS運動が国際的な広がりを見せている。パレスチナ問題で孤立しているのはパレスチナではなくイスラエルであることは明らかだ。

 一面的な見方だけでニュースを伝えるなら、世論をミスリードすることになる。そしてこの場合、それは合衆国やイスラエルサウジアラビアUAEなどのイランに対する軍事政策に正当性を与え、パレスチナ問題についても、イスラエルに対する抗議の声が国際的に広がっている現状を示さなければ、人間らしく生きる権利すら否定されているパレスチナの現状を変えるための手立てがないかのような印象を与えてしまうだろう。
 マスメディアはアラブの専制君主やそれを支援する合衆国政府の立場から離れ、市民の視点でニュースを伝えることはできないものか。