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── Media Watchdog Group

ニュースウォッチ9、社会保障費を削減して大企業のための「お小遣い」を増やすべきだと力説

 安倍政権が閣議決定した来年度予算案についてのニュースを伝えたニュースウォッチ9(19/12/20)は、社会保障費を減らして大企業のための「お小遣い」を増やすべきだと主張している。

 予算案の概要を伝えた後、ニュースウォッチ9は予算案を「家計」に例え、「病院代・介護代」の社会保障費と「仕送り」の地方交付税、それに「借金返済」の国債費を除いた残りの部分が「お小遣い」で「自由に使えるお金」だと説明。

「お小遣いは多ければ多いほど、やっぱりいいですよね」

と言うキャスターの桑子真帆に対し、キャスター・有馬嘉男は、教育・科学振興・防衛・公共事業や景気対策など「成長戦略」に回すお金が「国」の「お小遣い」だと説明した後、一般会計の推移を示したグラフを紹介して、歳出全体は増えているのに「お小遣い」は減っていると指摘。そして、

「これ家計で言うと、例えば子供が塾に行ったりだとか、あと習い事をしたりとか、将来の成長につながるお金も使いづらい状態になっているっていうことですよね」

と述べる桑子真帆に対して、有馬嘉男は高齢化で今後も増加が見込まれている社会保障費を抑えようという動きが広がっていると述べて、福岡県行橋市の「体力年齢」の若返りを目指すプロジェクトを紹介する。
 そして、「これで病院・介護代をどんどん減らして」(桑子真帆)、「こういう感じになっていくといいんですけどねぇ」(有馬嘉男)と言って、有馬は予算案の内訳を示したグラフの社会保障費の部分を小さくし、「お小遣い」の部分を大きくする。

「このお小遣い、自由に使えるお金がどれくらいあるかって、国の成長にかかってくるわけですよね」

と主張する有馬嘉男は、今回の予算案には「お小遣い」として5G通信や自動運転など技術開発を促進するための予算が盛り込まれていることを紹介し、「お小遣い」を増やすことの重要性を力説する。

「(5G通信や自動運転などは)次世代の日本経済の成長の競争力、それを担う技術ですよね。世界との競争厳しいですよね。中国もアメリカもどの国もやってる。その予算規模には及ばない状態なんですよね」
「さらに心配なのは、このお小遣い、これが自由にならないと、気持ちが上がらないじゃないですか」
「成長戦略を打っていこうとか。どんどん攻めていきましょうっていうマインド事態が弱くなってしまうかもしれない」
「だからこそ、ここ(「お小遣い」)をどう増やすのかってのが、問われてくると思うんですね」

 国費で5G通信や自動運転などの「競争力」を支えるべきだと主張する有馬嘉男は、日本も国家資本主義国家であることを図らずも暴露しているわけだが、大企業を支援することになるそのような支援ための「お小遣い」は誰が負担しているのか。
 日本政府は低所得者や収入のない人にも負担を強いる消費税を1989年に導入して以来、消費税増税法人税減税を繰り返してきた。特に「世界で一番企業が活躍しやすい国」を目指す安倍政権は、法人税の大減税を行う一方で、消費税増税を2度も強行し、2020年度の一般会計税収は消費税が所得税を上回って最大の税目になる見通しだ。企業は法人実効税率の減税の他にも、研究開発減税と呼ばれる税制上の優遇措置を受けることができる。その恩恵を受けているのはほとんどが大企業で、そのため中小企業の法人税負担率が18%であるのに対し、大企業は10%しか負担していない(赤旗19/10/1)。大企業は中小企業を下回る僅かな税率しか負担することなく、国費で整備された交通や電力・通信などのインフラや、公教育を受けた従順な労働者を使って金儲けをしている。日本は大企業のための福祉国家だ。
 有馬嘉男は、この大企業のための福祉をさらに充実させるために、社会保障費を削減して大企業への「お小遣い」をもっと増やすべきだと主張しているのだ。

 しかし一般庶民からすれば、大企業のための「お小遣い」よりも、社会保障を充実してほしいところだ。医療や介護などの心配があると、庶民は「気持ちが上がらない」し、「マインド」も「弱くなってしまうかもしれない」。国家の「お小遣い」を増やしても、大企業に恩恵が行くばかりで、一般庶民の生活にはほとんど関係ない。大企業が潤えば庶民にも富がいきわたるという「トリクルダウン」は起こらず、大企業の内部留保がたまるばかりだ。
 国家予算とはどのように税金を集めてそれをどう配分するかという問題だが、大多数の国民にとって望まれるのは、ニュースウォッチ9の言うように大企業のための「お小遣い」を増やすことではない。収入の如何に関わらず負担を強いられる消費税を増税するのではなく儲かっている大企業に対して増税し、社会保障費は抑制するのではなく、高齢化社会に合わせて増やすべきだ。
 そうでなければ、庶民にとって国家など存在する意味がないのだ。