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── Media Watchdog Group

ヘイトスピーチは法で規制されるべきなのか

 ヘイトスピーチに罰則を科す条例が神奈川県の川崎市で成立した。長年ヘイトスピーチに苦しめられてきた被害者が求めていたことだ。ヘイトの対象となった人の恐怖や苦痛は、実際に経験しなければ計り知れないものがあるだろう。従って以下に述べることは、被害にあったことのある当事者からすれば綺麗事にしか聞こえないかもしれない。しかしそれでも敢えてヘイトスピーチを法で規制することへの懸念を指摘したい。

 川崎市が制定した「差別のない人権尊重のまちづくり条例」は、公共の場での外国出身者に対する不当な差別的言動を禁じ、市の勧告や命令にも従わずにこれを繰り返した場合、罰金が科せられる仕組みになっている。具体的には、拡声器や看板・プラカード・ビラ・パンフレットなどを用いて、「居住する地域から退去させること」や「生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加えること」を扇動あるいは告知したり、「人以外のものにたとえるなど、著しく侮辱」する行為が刑事罰の対象になる。市長は審査会に意見を聴いた上で、これらの行為を行った者に対する勧告・命令・告発を段階的に行うことになっている。

 まず指摘したいのは、マスメディアなどでも論じられ広く認識されていることだが、表現の自由に関する問題だ。条例が恣意的に運用され、正当な抗議活動が制限されることはないだろうか。
 川崎市の条例の場合は、条例の乱用を防ぐための仕組みとして、告発に至るまでに勧告・命令という段階を踏み、それぞれの段階において審査会の意見を聴くことになっているが、審査会の委員は市長自らが委嘱した少数の委員(5人以下)で構成されており、勧告・命令の手続きも形骸化してしまえば、歯止めになりえないのではないか。
 また、法で規制する動きが広がるとどうなるだろう。川崎市で条例が成立したことを受けて、沖縄県でも条例の制定を求める声が上がっていると沖縄タイムス(19/12/13)は伝えているが、沖縄県で同様の条例ができればどうなるか。川崎市の禁止事項に従うなら、米軍の辺野古新基地の建設中止や、基地の撤去、軍事訓練の中止などを求める抗議活動は、「居住する地域から退去させること」や、「自由」「名誉」「財産」に「危害を加えること」に該当する行為だと判断されないだろうか。駐留米軍の問題は沖縄に限った話ではない。法で規制する動きが広がれば、各地に存在する米軍基地や軍事訓練等に対する抗議活動が制約を受けかねない。
 法によって表現に制約を加えるという事は、国家やそれに準ずる地方自治体などに、その許容範囲の決定権を委ねるという事だ。私たちは、何が正しい表現かを決める権限を、国家や地方自治体などの行政機関に与えるべきなのだろうか。

 もう一つ指摘したいのは、法による規制でヘイトをなくせるのかという問題だ。罰則付きの条例が「抑止力」になると期待する声もあるが、表現に制限を加えても、ヘイトそのものはなくならないのではないか。外国にルーツのある少数弱者に対する憎悪感情のある人たちは、別の手段で嫌がらせを続けるかもしれない。
 ヘイトをなくすためには、日本社会の不健全な部分を正す必要がある。日本社会の不健全な部分というのは、例えば、「慰安婦」問題や「徴用工」問題で被害者の人権を踏みにじる言動を繰り返す日本政府の対応、日本政府のそのような対応が正当であり、非があるのは韓国側であるかのような印象を視聴者に与え続けるマスメディアのプロパガンダ、マスメディアのプロパガンダを真に受けて被害者の救済を求める韓国世論の声を「反日」と捉える日本の世論。あるいは、朝鮮学校の無償化制度からの排除は憲法違反であるにもかかわらず、司法が司法としての役割を果たさず、マスメディアなどでもほとんど問題にされることなくその状態が放置されていること。朝鮮へ修学旅行に出かけた朝鮮学校の生徒の土産を嫌がらせで没収しても咎められることのない税関と咎めようとしないマスメディア、等々。
 このような政府やマスメディアの言動、あるいは世論の反応自体がヘイトであり、街頭でのヘイトスピーチを助長している。
 ヘイトをなくすためには、日本社会のこうした不健全なところを是正しなければならない。排外的・人種差別的なデモを止めさせるために市民が現場に駆け付けて行われるカウンターデモは、私たちの社会がまだ健全であり、社会の不健全な部分を是正する力が市民社会にあることを示すひとつの例だろう。

 行政に委ねるのではなく、市民社会全体の努力でヘイトを許さない社会を目指し、少数弱者を守る必要があるのではないか。